アルクトゥルスの空

宇宙人すばるの地球生活滞在記。時どき、知り合いのUFO遭遇体験の聞き書きなど。本家イラスト&音楽サイトは http://subarutei.blue

ル・グウィン『闇の左手』感想 -性別と友情についての考察

アーシュラ・K・ル・グウィンの『闇の左手』を読み終えた。

 

惑星間の宇宙連盟に加入していない、極寒の惑星〈冬〉において、宇宙連盟からの単身の使者ゲンリー・アイが、連盟への加入を呼びかけるため二大国家を渡り歩く話でありーー、そしてまたこの惑星〈冬〉の異星人たちの生き方や文化、宗教との、観察と交流の記録である。

 

しかしこんなふうに筋書きを書いてみても、私がこの物語の世界で受けた二つの大きな衝撃の要素の、そのどちらの説明のかけらにもなっていない。

 

ひとつの衝撃は、この惑星〈冬〉の異星人が、両性具有の中性の人間であるという点である。月に一度、動物のような発情期があり、その期間はカタツムリのように男性にも女性にも変容する。しかしそれ以外の多くの期間は、性別も性欲といったものも彼らは持たない。

 

どの人間も、父親にも母親にもなりうる。単性の社会である。兄弟でも夫婦になることがあり、老翁の「私の息子たちの息子」といった血族が領地を継ぐ者であったりする。

 

宇宙連盟からの使節ゲンリー・アイは地球人の男性である。彼は現地の中性人間たちから見れば「奇形」であり、年中発情期にあるということで「変態性欲者」であり、しかし一方で彼の友人になった者は彼を見て「年中性別があるのに、その性欲はいかに低く抑えられているのか」と不思議がる、そしてゲンリーの話す「女性」という未知の存在のことは想像もつかないというーー。

 

「女性」について、「妊娠している間の我々(中性人間)のようなものか」という認識はなされるのだが、社会的に、生物的に、あるいは様々な要素で、男性(使者ゲンリーが代表している)とは、性格や思考や向いていることが違う、という点は、単性社会のここの人々の理解を超えている、という描かれかたである。

 

(まこと、女性という言い回しや括り方の「第二の性」であることを痛感する点であるが、しかしこの物語の主題はそこにはなく、深くは描かれない。ただひたすら現地の「両性人間」「中性人間」の考え方、ふるまい、社会をゲンリーを通し考察するだけで、読者も手一杯である)

 

 

 

性の主題をさておいて、この物語で描かれているのは、ゲンリー・アイともうひとりの語り手、王国の総理大臣をしていた人物エストラーベンとの、友情であり、異星人間に結ばれた「愛」である。

 

これは地球人でいうどういった種類の友情にあたるのか、その答えはただ「友情だ」と単純なのであるがーー、「同性の友人なのか、異性の友人に近いのか」というと、一気にその模様は複雑怪奇になる。

 

 

 

言い忘れないうちに書いておくが、この物語の両性人間社会というものがずば抜けて奇異で興味を惹き、多くの印象を得たというのは私の個人的な感想でーー、この物語、惑星の人々には、性別に匹敵するくらい考察のしがいのある宗教観、社会規範、礼節、といったものがある。(シフグレソルというのがどういうもの、概念であるのか、私は最後まで理解が追いつかなかった)

 

ただ私は個人的に、この惑星社会を見て、異星人間の友情の物語を見て、性別という面からなにを感じたかを、多くの女性や男性や性的マイノリティ、そして腐女子ジェンダー論者を名乗る友人知人に聞いてみたい、という衝動にかられたのである。

 

(以降に物語の核心などを語るので、まだ読んでいない人には警告を)

 

 

 

地球人の私には衝撃であった世界観のひとつに、ゲンリーが「どんな友人も新月になれば愛人になってしまうこの世界で、いったいどんな友情があるというのか(愛人になりえない自分との間に)」といったことを書いている場面がある。

 

実際、この惑星の大人たちの人間関係を見ていると、男性同士とも女性同士とも言いがたい同性の、生涯の友人との間に子どもがいる(子どもはみな「息子」表記の存在である)、といった感じで、非常にふしぎである。ふしぎな感じがするのは、子どもたちのことを語る二人の大人が、なんの性別も感じさせないせいかもしれない。男性も女性も、父性も母性も。

 

話を戻すが、この世界で地球人が現地人と特別な友人になるというのは、「決して生涯恋人にはならないとお互いで決めあっている男女の友情」のような、非常になんともいいがたいものなのだ(と思う)。

 

とはいえ、この友情の理解は、たやすくもある。

性別に多くを囚われる以前の、子どもの意識と社会での、単なる友人、親友というやつである。

 

(それが大人になってからの地球人の同性の友人というものとどう違うのかというとーー、使者ゲンリーと現地人エストラーベンは、やはり「同性」ではないのである)

 

エストラーベンという人物は、まったくどのような容姿なのか、想像がつかなかった。

若くはない。強大な王国の、総理大臣である。美しいと書かれている場面もある。脂肪太りだという。肌は浅黒い。地球人の女性よりも背が低いという。ゲンリーより遥かに力は弱い。

 

しかしまぁ、ゲンリーとエストラーベンは非常に過酷で正気の沙汰とは思えない氷原の旅によって、もとの容姿などまったく関係なくなるかのような、苛烈な容貌になってしまうのだがーー。

 

エストラーベンの人間性の中にも、ゲンリーは、相手を「彼」だと無意識に思い込んでしまうせいで、多々驚くことになる。そんなことにこだわる男のプライドというものは彼にはない、彼はこういう点では非常に女性的な態度や言い回しで相互理解が得られない、といった具合に。

 

 

しかしとはいえ、この物語を読んでいて、エストラーベンを、あるいは妊娠・出産するも1時間で子どもを亡くす王を、「同性だ、女性だ」と思う女性読者はいないだろうし、「女性だ」と感じる男性読者もいないのではないか。

 

上記の言い回しには少々詭弁めいたところがあるが、そうである、あるいは男性読者も女性読者も、「同性だ」と言外に感じるような親近感は持つかもしれない。そこがこの物語の惑星の人々のもつ、ふしぎな魅力である。(あるいは「異星人だ」と感じるかーー)

 

 

もし、とはいえ結局は主人公も惑星の人々も、「女性」というものを想像も理解もできない、男性社会の物語ではないかーーという感想を持つ人があったら、話を詳しく聞いてみたいところだ。

 

個人的に思うに、この物語の惑星に降り立っている間、読者は自分が男性であるか女性であるかということを、忘れて読むのではないか。しかし「自分には性別がある」という点は強く、日常生活よりより強く意識させられる。「この惑星の人々とは違う」と。その、「自分には性別があるが、この惑星の人々はなんだ、どう解釈すればいい」という理解の壁を乗り越えていく間、自分の性別がなにであるかにはあまり注意は払われないような気がするのだ。

 

 

余談ながら、このような感想を抱いた私自身の性別であるがーー、トランスジェンダーを志し、性同一性障害の認定までもらうも、日常的には生れながらの性別で生きていくところに落ち着いた、とだけ記しておく。

 

(私には、性別以外に、自分が何者であるかに関わるすさまじく深刻な問いが多くあったのだ。神学・信仰上の、あるいは魂の故郷に関することの、霊界との交信といった不可解なことへの)

 

 

 

それにしてもエストラーベンはなぜ、あんなことになってしまったのか。

これは単なる嘆きだ。

 

彼が国家にしたこと、惑星にしたこと、使者ゲンリーにしたこと、人類というものにしたことの偉大さーー、それがよく噛み締められるほど、私は読後多くの時間を過ごしていない。

 

ただ、彼が使者ゲンリーにした、与えた、全人間存在をかけた「親切のようなもの」の規模は、あまりに衝撃的だった。それがどんな義務感や思惑からなされたことなのか、ゲンリーでなくたって信じ難かっただろう。

 

そしてそれは「親切のようなもの」を遥かに越えて、二人の命を賭した大逃避行の旅の決行と遂行をもたらしたがーー。

 

ゲンリーは惑星〈冬〉の未来の可能性を開くためにたったひとりで送り込まれた使節であり、惑星〈冬〉でゲンリーを受け入れ動いてくれた現地人も、またたったひとりだったのだ。

 

想像を越えて孤独な二人の異星人の友情と努力と命によって、歴史は動かされたのだ。

 

この物語は、そういう物語であったと思う。

 

 

 

 

 

 

幻想水滸伝 紡がれし百年の時 感想

幻想水滸伝シリーズの最新作、紡がれし百年の時のクリア後の感想です。

 

最新作といっても5年前、2012年の作品。幻想水滸伝シリーズはIVの発売前あたりから追ってたのですが、震災後何年かばたばたしていて当時クリアできず。しかし幻水に言い表せないほどの思い(愛)を抱える身としては、これを体験せずに死ねるかー! とばかり、2017年になってPSPを買い直してプレイしていたのです。

 

やっている間はもう楽しくて楽しくて。この世界をずっと体験していたい、でも着実に108星も集まってしまっている、そして世界の謎(広がっていくワールドマップそのものの謎など)が容赦なく明かされていく…! など、クリアしてしまうジレンマにどっぷり浸って遊べた作品でした。

 

紋章が出てこないだとか、風呂職人がいないとか(笑)、前作ティアクライスを遊んでた頃は(そしてこの紡時の発売当初のプレイ時には)いろいろ論争のフィールドにもいたのですが、もうそんなのどうだっていいじゃない! 2017年の今になって触れているからこその全肯定的な子供心で、入り浸れた世界でした。

 

というわけで、ネタバレ配慮なし、基本的に「楽しかった!!」全開の感想です。

(本当はブログで感想書くつもりなかったんだけど、いいじゃない、広いネット海にいくつかは、最高だったぜ!! の感想が落ちてても、と(笑))

 

※めちゃくちゃ長くなっちゃいました。後半SF的な考察とかに突入しちゃって(汗)。

 どうぞ拾い読みとかでどうぞ。

 

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まずは主人公が好きでしたね。シリーズに珍しく、けっこう意思のはっきりした主人公だったので、自分の代理のように感情移入するタイプではなかったのですが、だんだん彼の生き方が好きになっていった感じです。

 

すごい笑顔がいいよね。素直に何かを引き受ける時から、"困った"キャラを華麗にいなす時まで(「誰がモーじいさんじゃ!!」等)、いつも笑顔。これ、ご先祖さまのトルワドさんと、そしてその右腕の魔術師ロルフもそうで、特に後半などすんごいシリアスな政治情勢とかでもさらっと笑顔で片付ける姿に、少々「この人たちを敵に回したらいやだろうな…」といった戦慄を覚えたり(笑)。

 

 歩き回れる町が少なかったのは残念といえばそうですが、しかし歩き回れるダンジョンやフィールドは本当にいろいろ素敵で、新しいフィールドに突入するたびに景色にやられました。醍醐味は100年前、200年前に行った時で、全然フィールドの雰囲気や音楽が違ったりすることに、言葉にならない感動がありました。

 

一番それを感じたのは個人的にはマルティリオン平野(200年前の西トルマリー)。主人公の母の墓碑まであるような、彼岸の空気が入り混じるような土地でしたが、惨劇の遥か前の200年前から、静かで美しくて。最終盤の追加ボス探しでうろうろした時には、「この先の洞窟(岩で塞がれてる)めっちゃ入ってみたいな〜」などいろいろ想像が広がりました。

 

あとは忍者の農夫さんムドガラがいるフィールドだったか(トルマリー?)。一騎打ち的なレギウスの試練が強くて何度か挑み直しに通ったのもいい思い出。あそこの奥の、誰がいるともない桜の大木がものすごく綺麗でしたね。時代樹かと見紛うほどの。

 

しかし感激したのは森羅宮ですよ!!! もともと王城がめちゃくちゃ好き、というのもあるのですが(笑)、神々しくて、ここは究極の幻想の宮殿だなぁ、と……。庭木の迷路とか、そして謁見の間でマキアさんと対峙したあとの……。ラスボスがいるだろうな、と思うじゃないですか。ここまできたら聖皇レネフェリアスさんしかいないじゃないですか。もしくはIVのラスボスみたいなでっかい時代樹の化け物がいるのだろうと思うじゃないですか。

 

違ったよ…!!!

あの森羅宮最後の間に、300年前へ行ける時代樹があったのは驚きでした。そして出会うのが当時の、あんなに素朴なレネフェリアス陛下だとは……。

 

レネフェリアスさん、序盤の謁見の時から、尋常じゃないキャラ感が半端なかったですが(今までの幻水シリーズでこんな国家元首見たことないよ! というオーラと宗教性)、この最終盤で会ったレネフェリアスさんなら、ひょっとして結界の外へみんなで出て行く、という決断をしてくれるのかもしれない、と最後まで思ってしまいました。

 

森羅宮攻略パーティにゼフォンを入れていたのですが、あれ、ゼフォンなしのパーティで突撃していたら、最後にひょこっと神出鬼没ゼフォンが現れるのでしょうか。ちょっと気になった(笑)。

 

で、そうなんですよ!

天間星大好きで、I(ソウルイーター)の時から魔術師パーティに入れるの大好きじゃないですか!

すると幼なじみのミュラと天間星ゼフォンという、魔術師2人体制で最終盤は過ごすんですけどね……!

 

いやぁ、こればかりはオススメできない事態でしたね。がんばって一撃必殺的な「真理の雷」と、全体大ダメージの「大爆発」を魔術師2人に共有する伝承の苦行をおかしてしまったために(笑)、どんな処刑隊パーティの敵相手でもほぼ魔術師2人が1ターンキル。その上最後のほうに出てくる魔石を使う時のエフェクトが禍々しすぎて(笑)、これ完全にフォースのダークサイドでは!?!? と焦り、真紅に近いピンクが最恐な凶刃の魔石を封印して、ひとつダメージ低い青い光の命終の魔石を使う縛りとかを勝手に課してました(笑)。レーテちゃんじゃなくても寿命縮みそうだよ…!

 

基本、無駄なレベル上げとかの苦行が皆無な幻想水滸伝

その中で今回の仲間同士の技伝承はなかなかに大変で(何しろ覚えるまでは戦闘中、師と弟子のののしりあいである(笑))、そんな面倒なことをしなくても十分ラスボスに挑めたんだなーと……。

 

というのは、100年前のトルワドの英雄パーティや、200年前のアストリッド皇妃の仲間のパーティで戦闘をプレイできる時に、感激とともに反省(痛感?)することになるわけです。主人公の時代の戦闘要員、チート的に強烈な技を集めすぎでは…!? と(笑)。

 

 

時代樹で過去を変えること(あるはずのない橋から、ひとつの村の存在まで)。最初は主人公たち同様、これでいいのかという思いはありました。しかしワイバーンの巣の北端とヒオニ山の西端の「道がループする」の伏線あたりから、ワールドマップ画面の枠外にそれを描いた絵の具のようなものがあるのも目に入り出して、「え? この、百年に一度怪物が襲ってくる世界って、なんなの?」という根源的な、ゾッとするような謎も見え出して。結界の話が明かされたりしていって、もとからすごく不自然な世界だったのだとわかってしまうと、時代樹で過去を変え、世界線(枝)を増やしていく、という行為と、それまでのいろいろ雑多な矛盾も、全然意味が変わったように思います。あの違和感こそが伏線だったのか、と。

 

しかしねえ、あれですね、無駄な心配かとは思いますが、ティアクライスで「百万世界といういくつものパラレルワールドで同時にひとつの宗教団体を倒す」をやって、今回は「閉じた結界世界のいろいろな時代で同時にラスボス存在にアタックする」をやって、次があるならいったいどんなスケールのSF世界観を用意すればいいのかと(笑)。

 

幻想水滸伝、ナンバリングの続きが出ない! あの真の紋章の世界の続きが出ない! と多くのファンが苦悩していますが(私だってヒクサク様を見るまでは死ねない(笑))、ただ開発陣の都合という以外にも、百万世界という概念が出てきたのは、なんというか、この現実世界の時代の要請のような気がしています。

 

(脱線ながら、今年のポケモン映画だって、20周年にしてついにポケモンパラレルワールド全開な世界観できたか……、と時代を見た思いがしました)

 

というシリーズの感想は置いておいて!

 

 

書きこぼした雑多な感想を。

 

・サブ職業イベントは結局達成できなかった…! 主人公を薬使いにしてみようと、攻略情報をもとにツェレンドラムさん、イリアを果てしなく食事に誘っていたのですが(笑)。しかし、なぜ主人公薬使いイベントにツェレンドラムなのかがさっぱりわからん、攻略情報なければ天文学的に組み合わせて回数こなすことはない(笑)、という疑問にさいなまれながらで、情熱がちょっと持続しませんでした(笑)。

 

・料理のレシピが豊富でおいしそうでしたね! ヴィーガン(野菜料理)がデフォルトとか21世紀的ですな(笑)。レギウス曰く「食後のお茶もおいしい」そうで、お、お茶までちゃんと淹れてくれるのか…! とますますうらやましくなった。「食事の席に誘っていただけるとは」と言うフェザートライブ忍者のギジェリガーが健気で仕方なくしつこく同席させていたら、ある日「魔物図鑑」を眺めるのが好き、の萌えイベント発生。「子どもっぽいのは自分でもわかっているんですが…」と、いやぁ、最高でした。

 

・フェザートライブ!!! いやはやかわいかったなぁ〜〜。ブートゥルーガさんとか、ギジェリガーとか、フィールドで歩かせると最高でした。羽のバランスが左右で違ったりするの? 歩き方がどの子もかわいくてかわいくて(イリアと語り合いたい(笑))。

 

・料理人とか、魔石職人とか、現代の誰を伝承に連れてくるかで迷いましたね。2周目やるなら別の職人さんで会話を聞いてみたいところ。

 

・マキアさんとは、最後も一騎打ちしたかったな。

 

・ダンジョン、カメラワークとマップの狭さが話題になってますが、そういう鬼畜仕様なのだろうと現実でメモ帳にマッピングしていったら、意外にこれがめちゃくちゃ楽しかったですね(TRPGで育ったアナログゲーマーなのもあり(笑))。どう考えても異次元空間になってる上階と下階とかもあったが……。ダンジョンが楽しめたのはよかった。

 

・100年前から現代の間に現れて死んだという、巨獣の骨の砂クジラ。すごく惹かれたので、もっと知りたかった。

 

 

でもあの結界の世界は(108星エンドで)それぞれの時代において解放されて、それぞれの時代からの世界線で、もう前の歴史がなぞられることはなくなったのですよね。

 

タイムトラベルものはバック・トゥ・ザ・ヒューチャーの世界線の解釈があまりに色濃くて、マーティの父と母が結婚しなければここにきたマーティは消えてしまう、という描かれ方が印象に強烈なのですが、

 

この紡時の場合(閉じた不自然な世界だったという要素は置いておいて)、複数の過去から現在にかけて、いくつものポイントで「同時に」未来が変化する、というのは、……言ってしまえば人類の誰も観測したことのない事態なので、どうなっているのかというのは厳密には誰にもわからないんですよね。

 

最後にアストリッド皇妃が、100年後のトルワドや200年後の主人公に向けて、「彼らも今頃」といった言い回しをして、その不可思議さに笑っているシーンがありましたが。

 

主人公たちが時代樹を植えまくったという行動あればこそ、歴史が(世界の成り立ちレベルまで)遡って改変されていった。それで過去の時点の事実も変わっていく≒分岐した新しい世界がその時点で生まれていく、けど主人公が交流しているのは常に「解放される未来」に一番近い世界線にいるトルワドたち、と思えばいいのかな。(トルワドたちが戦ったのは天然のテラスファルマか? というところまで、最終的には変わってしまうんだったか? ちょっとうろ覚え)

 

現実世界でも、奇妙なことに「パラレルワールド」というのは少しずつ確実に認知されてきていて、幻想水滸伝の(今のところの)行き着いた世界観がこれだというのは非常に興味深い。

 

(近年マンデラさんが亡くなった後にできた「マンデラエフェクト」という現象名、スイス地下の素粒子を衝突させる実験施設(CERNだっけ)がパラレルワールドやこの宇宙の存在性を左右すると科学者が警鐘を鳴らすとか、現実も相当超現実で面白い時代になった)

 

 

感想・考察はとりあえずこのくらいです。

 

ゼフォンの正体とかも気になっているのだが…!(レーテ、レネフェリアスのように体を作り変えて不老で長生きしてる魔術師? という以上の、なにかがありそうですよね。レネフェリアスが300年間、時代樹そのものに関わって存在していたので、ゼフォンは同じように300年間、なにか世界の仕組みを司っていたのかもしれない。結界を張った賢者の集団というのが気になっているのですが、結界になにか関連して存在していたとか…?)

 

 

 

現実のほうの世界線だとか、あるいは世界樹だとかの話、改めて書いてみたいですね(もともとそっちの気がある電波スピリチュアルブログ(笑))。

 

幻想水滸伝の未来を祈りつつ。

 

封神演義の再アニメ化まで決まったもはやついていけない2017年だ、私はなんだって信じるぞ!(笑)

 

新しい家と新しい仕事

夏になり、いろいろと生活環境が変わり、生まれ変わったように軽くなっています!

 

まずは引っ越しがありました。新しい家は光の中の木でできたお城のようで、とても快適です。前の家より広さは減ったはずなのに、窓が大きく空や山に開けていて、とっても広々としています。

 

窓を開けると、夏の盛りには蝉やら人々の生活音やら、生きてるものの音がわーっと入ってきて、地球ってすげえところだな、という気分になりました(笑)。考えてみればそうなのですが、我々は地球の上にいるんじゃなくて、地球そのものに包まれたフィールドに暮らしているんですよね(^◇^)

 

まだ人生の右も左もわからない頃、私は「魔法使いになりたい!」とネットに書いていたのですが、「仙人のような暮らしだね〜」「巫女さんや沖縄のシャーマンのような症例ですね」と言われる数年の長旅を経て、最近は本当に魔法使いに転職したかのような世界観で過ごしています。

 

具体的に話すのはまだちょっとおっくうなのですが(笑)、そういった近況や日常の話、ちょっとずつよしなし話していけたらいいなと思います。

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京町屋の二階

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京町屋の二階、

天井は窓へかけて立ち上がれないほど低くなる。

建築パースを描く講座はこの部屋で行われている。

今日は自分たちのいる部屋を描いてみたのだ。

 

UFO目撃体験談~第8譚~

今日の体験談は、たまたま電話で

「今さっきUFOを見たよ!」という

体験直後、本日4月19日のUFOのものだ。

 

採れたての生の体験談を、ぜひ。

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電話で伝えてくれたのは、宇治市の20代男性Kさん。

本日4月19日の、宇治市での体験談になる。

 

ちなみに、Kさんは前から「以前にもUFOを見ている」と

言ってくれていたUFO体験者だ。取材は今回が初めて。

 

「めっちゃさっき見たよ。

買い物の帰り、空を見て

UFO現れないかと思いながら帰ってたら、

光る物体を見つけたんだよ」

 

どんなだった? 空のどのへんに?

 

「きれいだなぁと思って見てたよ。

そうだね、空の、ちょっと月が

見える位置くらいかな」

 

そのUFOの特徴的な光の様子を、

ガンダム00という作品のガンダムの機体に

なぞらえて、詳しく説明してくれた。

 

ガンダム00の主人公・刹那の機体のように、

素粒子のようなものを流星のようにばらまきながら

そのUFOは飛び、また瞬間移動したという。

 

「最初は何かなと思って見上げたら

ガンダム00みたいに動く素粒子を発生させながら

動く物体を発見したよ」

 

「最新のUFOだと思う」と、Kさんは"素粒子"について話す。

 

「キラキラ輝くものが尾を引いてて

一瞬でーーガンダム00って機体が動いたら(瞬間移動したら)

素粒子は)光を消していくけど、

(今日のUFOの素粒子は)流れ星みたいに

天の川みたいに『く』の字に動いたよ」

 

それは綺麗な光だったという。

 

「きれいだなぁと思って見てたけど、

光ってどっか行っちゃった」

 

何時頃の話かと聞くと、7時20分頃だという。

日が長くなっているとはいえ、もう暗くなっている時間帯だ。

 

何色の素粒子だったのか聞くと、「銀色」と答えるKさん。

素粒子だけで、物体そのものは見えなかったのか?

 

「ちょっとだけ見えたよ。

動いて素粒子をばらまいてた。

色はちょっとわかんない、黒だったと思う。

銀の素粒子が綺麗すぎて」

 

消える間際は。

 

「火の粉か花火みたいに

素粒子がパッてなって、どっか行ったよ」

 

「相当な技術だと思う。

あんなUFO初めて見た」と語るKさん。

前にもUFOを何度か見ているという。

 

「何回か見ているよ。

一番印象に残っているのは

レーザービームを発射したUFO」

 

最後に、「今日のUFOは綺麗だったなぁ」

とKさんは繰り返した。

 

 

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「さっきUFOを見たよ!」というのは

さすがに取材を始める前にもあとにも初めてのことで、

せき切って伝えてくれるKさんにつられて

筆者も思いが熱くなった。

 

これだけ「きれいだったなぁ」という

UFOの目撃譚を聞くのは初めてのことで、

こちらまで何かいいことがありそうな気がしてくる。

 

UFOが吉兆に思えるというのも、不思議な話だ。

 

Kさん、ありがとうございました!

おすすめ楽曲3つ

 今日は最近ハマっている良曲の話でも。iTunesを徘徊していて見つけた曲を3つ、どれもアーティストから入った曲ではない。

 

 まずはeyelisの「銀世界」という曲。軽やかな鈴の音の滑り出しから心地よく、二番の「遠い月明かりにつづく銀世界」というタイトルの由来になる歌詞、ここへの入りが最高に快い曲だ。

 坂本真綾さん、茶太さん、あるいは中島愛さん、豊崎愛生さんといった、透明でどこかほわっとした暖かみ、広がりのある声の人が好きなのだが、このeyelisというユニットの声の素敵さは彼らと同傾向で、おすすめ。

 

 

 二番目は相坂優歌さんの「透明な夜空」。力強さを感じさせるアニメポップスで、「大丈夫だって思うのにおんなじくらい心配で」というサビの歌詞にやられてよく聴き始めた。

 「透明な未来はさ存在すら疑うけど」といった歌詞がやはり魅力。相坂さんの歌い方とあいまって、元気をもらえる一曲だ。

(相坂さんのデビューシングルだそうだ)

 

 

 三曲目は伊藤かな恵さんの「雨のちスピカ」をおすすめする。戸松遥さんの「ドーナツ」というこれも良曲の、作詞者、古屋真さんから行き着いた楽曲だ。歌詞も、"元気いっぱい"に感じられるかな恵さんの歌い方もかわいい。

 伊藤かな恵さんを知らなかったのだが、他にも「オーロラ」「コンパス」といった放っておけない良曲がたくさんある方だった。

 

 以上が最近おすすめの楽曲3曲だ。

アルクトゥルス星人

 最近また、ブログで自分の考えをまとめたい、発信してみたいという気持ちが強まってきたので、つらつら書いてみることにする。

 ひとつ、500文字程度で。

 

 というわけで、すばるです。

 この名前を使うのに、姓名診断にまで行ってみた。苗字がなかなか決まらなかったのだ。

 結局は、母方の先祖の「星」の苗字を、母の提案でアレンジし、「星乃すばる」を名乗っている。

 

 プレアデス大星団と関係があるかというと、そこまではない。

 プレアデス大星団の青い写真が綺麗で好きで好きで、というのが「すばる」の名前をもらった理由だが、何が好きかといえば、スピリチュアル的な話よりもまずあの青が好きなのだ。

 

 スピリチュアル的には、私の出身はアルクトゥルス6割、プレアデス3割、シリウス1割の宇宙人なのだという。

 

(バイブレーションから出身星がわかる達人に鑑定してもらう機会が、最近になってあったのだ)

 

 ワンダラーというやつだろうか。地球の転生が初めてらしいので、もしかするとクリスタルチルドレンというものにもあてはまるのだろうか(曖昧な、そうだとしたら先駆の世代だ)。

 

 まぁとりあえず、アルクトゥルスで何万年もを過ごした魂、アルクトゥルス星人、ということらしい。

 

 そのことを自認するようになってから、このブログも「アルクトゥルスの空」に名称を改めた。 

聖イジー教会

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チェコプラハの聖イジー教会。

 

建築パース塾で描きました。

楽しかったー!